『 数の値打ち』にある、『日本近代文学の起源』からの引用について
柄谷は『日本近代文学の起源』のあとがきで、
デカルトのコギトとは「多様なシステム間の「差異」が不可避的に生みだす疑念のプロセス」だと述べている。
もしそうなら、本書は二重の意味で疑念に包まれていることになる。
柄谷は疑念を「歴史的に生みだされてきたものを自然なものとして、偶発的なものを必然的なものとして受け止める方法を明らかにする」うえで認識論上有意義な立ち位置だと主張した
Karatani Kōjin, Origins of Modern Japanese Literature (Durham, NC: Duke University Press, 1993), 186.
〔本引用は英語版では「文庫版あとがき」からされているが、日本語版の「文庫版あとがき」には該当する箇所はない。英訳にさいして、かなり書き加えられたものと思われる。〕
柄谷行人『日本近代文学の起源』
https://gyazo.com/bc346e03b2c649b05813b804cc148acf
定本
原本
『日本近代文学の起源』出版の変遷
この本を初めて手にした読者に説明しておきたい。私はこの本を単行本として一九八〇年に出版し、八九年に文芸文庫版を出した。そして、二〇〇四年に、これを大幅に改訂して『定本 日本近代文学の起源』(岩波書店)を出版した。
『日本近代文学の起源』
1980
講談社
『原本 日本近代文学の起源』
1989
講談社
講談社文芸文庫版
Origins of Modern Japanese Literature
1991
英語版
『定本 日本近代文学の起源』
2004
岩波書店
『定本 日本近代文学の起源』
2008
岩波書店
岩波現代文庫版
私が本書に書いたようなことを構想したのは、一九七五年から七七年にかけて、イェール大学で明治文学について教えていたときである。
一九八三年に英語への翻訳の申し出を受けた。(...略...) 大幅に改稿するという条件をつけた。が、その後音沙汰がないままに、八〇年代末に突然翻訳草稿が送られてきた。私は改稿に備えて幾つかの論文を書いていたのだが、もう遅かった。この時点で改稿することは翻訳者に気の毒であったから、最後に「ジャンルの消滅」という一章を加えるにとどめた
その上で、アメリカ版への長い「後書き」(1991年)を付した。この本が書かれた歴史的文脈を外国人に説明しようとしたのである。しかし、そのとき、私自身70年代に本書を書いていた時点では考えていなかった事柄を、いくつか発見した。
自分の本を読み返したり、再考したりはしない。書いたことも忘れてしまうほどだ。が、この本にかぎって、それ以後も、何度も読み返し考え直した。
いわば原本を材料にして、「序文」の名の下に新たな論文を書いたわけである。それは以下の三つである。
ドイツ語版への序文(一九九五年)
韓国語版への序文(一九九七年)
中国語版への序文(二〇〇二年)
こうして、『日本近代文学の起源』は、いわば「生成するテクスト」としてふくらんでいった。そこで、私は以上を収録し、さらに、全体に大幅に加筆したものを「定本」として出版したのである。これは量的に、「原本」の倍ぐらいになる。
「定本」を出すとき、私は本書を絶版にするつもりだった。しかし、それが「文芸文庫」で長い間(4?刷)出版されてきたことを勘案し、また、原本にも独自の歴史的価値があることを考慮して、当初付いていた解説・解題を割愛し、原本のみを再出版することにしたのである。
『定本 日本近代文学の起源』の目次
岩波現代文庫版への序文
定本版への序文
第1章 風景の発見
第2章 内面の発見
第3章 告白という制度
第4章 病という意味
第5章 児童の発見
第6章 構成力について──二つの論争
その一 没理想論争
その二 「「話」のない小説」論争
第7章 ジャンルの消滅
あとがきおよび外国語版への序文
初版あとがき
文庫版あとがき
英語版あとがき
ドイツ語版への序文
韓国語版への序文
中国語版への序文
注
年表
『定本 日本近代文学の起源』の日本語版の「英語版あとがき」
デカルトについての言及がなかった
英訳の Kindle 版を購入しようとして、既の所(すんでのところ)で踏みとどまる